中世ドイツの知の巨人「アタナシウス・キルヒャー」について

 
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兵庫県の片田舎に住む20代男性。博物系のアンティークや昔の博物図鑑、古いラムネ瓶やサメの歯の化石が好き。どうぞ末永くよろしくお願いします。
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博物学やヴンダーカンマー関連の書籍において必ず出てくるのが、

アタナシウス・キルヒャーである。

遅れてきたルネサンス人とも呼ばれ、

皮肉を込めて、紹介される事が多いが、

その業績は、考えられないほどの範囲にわたるものだった。

その業績を今回は紹介したい。

アタナシウス・キルヒャーとは

1602~1680、ドイツ(ザクセン・ワイマール大公国)。イエズス会の修道士であると同時に、(古来多くの宗教者が卓越した科学者や博物学者であったように)、知らべれば知らべるほどキルヒャーほどケタ違いに凄いオールマイティーな万能学者は在なかったことが判明する。

Hatena Keywordより

17世紀において活躍した、ドイツの学者であり、宗教家であった。

「ケタ違いに凄いオールマイティーな万能学者」でありながら、なぜ、現在では教科書や、学校の授業などで習わないのか。

また、その業績は後世に引き継がれたのだろうか。

気になるところだ。

特筆すべきキルヒャーの業績とは?

また、キルヒャーの特徴的な所は、あらゆる概念・要素を“図化”しようと切磋琢磨した点にあり、イコン~デザインを考える上で彼のもとを訪ねぬならば、そんなものはニセモノである。

Hatena Keywordより

キルヒャーは多くの著作を後世に残したが、

その著作の特徴は、特徴的なスケッチや図版がところどころに使われていることである。

その図版の多くが、宗教的な考えが反映されたものである。

キリスト教が隆盛していた当時では、キルヒャーはイエズス会のトップで、その業績の多岐にわたることもさることながら、その地位にも恵まれていた。

キルヒャーが研究した分野

キルヒャーは、当時最先端の知としてもてはやされていた天文学や理学に傾倒し、自然研究に力を注いだ。さらにエジプト学を中心とした言語学、地質学、中国学、機械工学、楽器研究など、その興味は多岐にわたった。

「愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎」より

キルヒャーは何でも屋の学者のような人で、その研究のクオリティーも非常に高かったという。

しかし、そんなキルヒャーが人々に浸透しなかったのは、

おどろおどろしい神秘学や錬金術・魔術にまで通じていたためであった。

キルヒャーの博物館

特筆すべきは、キルヒャー博物館が世界最初期の公共博物館だったことである。それまでのヴンダーカンマーでは、多くの場合、その所有者に近しい一握りの人々しか招き入れられることはなかった。それとは対照的に、キルヒャー博物館は、公共的な知の空間として万人に解放されていた。

「愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎」より

キルヒャーの数多くの業績の一つが、世界最初の公共的な博物館をつくったということである。

これまでの、ストゥディオーロやヴンダーカンマーは発祥が王侯貴族のたしなみであったため、

あくまでも私的なものだった。

それが、17世紀初頭にもなると、現在の博物館の系譜につながる驚異の部屋がつくられはじめる。

だが、キルヒャーの博物館にいたっては、ご想像に難くないように、

その展示物は宗教と科学と人工物などいろいろなものがごったになった、

いわゆる「ヴンダーカンマー」だったという。

さいごに

キルヒャーの科学的研究は現代のレベルから見ればお粗末なものであるため、どちらかというと見当違いだった研究の部分だけが大げさに紹介されることが多いが、その研究には正確なものが多かったことは忘れてはならない。また、その業績の広さ、先見性や観察力の鋭さは更なる評価を受けてしかるべきものである。

Wikipediaより

キルヒャーは、宗教に奉職していたため、宗教色の強い著作や研究が多いが、

それも、中世の科学の暗黒時代と合理化が進み科学技術が発達する近代とを架橋する存在であるとすれば、

うなずけそうである。

参考文献をいかに記します。

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